試合で再現できない

先週末に男ダブの草トーに参加した。結果は準決勝止まり。

準決勝では前半1ブレイクアップでリードしていたものの、そこから相手がほぼノーミスでこちらから崩れてしまった。

勝ち負けはさておき、僕自身のプレイは結構ひどかった。ストロークもボレーも、ボールにアジャストできておらず、ミスで相手にかなりのポイントを献上した。最近は調子が良いと思っていただけに、落胆している。

昨年草トーに出たときに「再現性を追求」と、このブログに書いたのだが、やはり試合になるとできていないのを痛感する。相手が打ったボールにどのように対応していくのか。そこを日々の練習でもっと考えながらやりたい。

フォームばかり気にすると、ボールへのアジャストが疎かになるのは以前からわかっていた。なので練習の前半にはボールに合わせることを意識し、後半にフォームの改善を試みる、といったやり方にする必要があるかも。

ラケットのスイングをボールに合わせるには、位置を合わせることと、タイミングを合わせるという2つの調整が必要になる。

時間的な余裕があれば予測で位置を合わせることも可能になってくると思うので、まずはタイミングの方に着目していこうと思う。具体的には相手のスイングに合わせた早い準備と、ボールの落下時点での始動。

もちろんこれらは、リラックスした状態ではきちんと見えていて問題なくできるんだろうけど、緊張した場面でも可能になるために、常に意識下でタイミングを早めたり、わざと遅くしたりできるようにする。そうすれば試合でも自分の意図で早く準備完了することができるのではないか。

試合で力が発揮できず負けるのは悔しい。でも自分の欠点が露わになるのは貴重な機会だ。集中して練習し改善に取り組もうと思う。

ABNアムロ世界テニストーナメント2019はモンフィス優勝

今年のロッテルダム大会はモンフィスが優勝。

モンフィスはどうも決勝に弱いというか、トーナメント後半になると最後まで集中力が続かない印象だったけど、今回は第三セットでクオリティを戻してワウリンカとの打ち合いに見事に勝ち切った。

モンフィスが32歳、ワウリンカ33歳と、30代同士の決勝が増えた気がする。フェデラーを筆頭に、トップ選手のプレイヤー寿命が延びたのはとても良いことだけど、若手はいつまでも高い壁が立ちはだかっていて大変だな。

モンフィスにも、まだまだこれから楽しいプレイを魅せてくれたらと思う。

脱・脱力 練習中

同潤会アパートの名残

煌びやかな表参道ヒルズ

 

同潤会アパートが一部保存されていたのを知らなかったのでいまさらながら見に行ってきた。昔は明治神宮前から表参道方面に歩くときに必ず通っていた場所で、古いけどいかにも都会のセンスを感じる建物だった。表参道ヒルズになって、まあ綺麗は綺麗だけど、名前や中身はどうにも趣が無い気がしてしまう。

 

先週から週末にかけて散々テニスして、少々肘が痛くなった。でも充実した練習内容だった。

2018年後半くらいから、「脱・脱力」を目指して練習していて、ミスが減っている実感があり、好不調の波も穏やかになりつつある。

以前は、脱力しないとラケットヘッドが走らないのでは?と思ってたけど、意外とそうでもない。というか、ヘッドを正しく走らせる動きを自らすれば良いのだ。これは、力を抜いてブラブラの状態とは異なり、再現性が高い。

もちろん余計な力は要らない。そういう意味では脱力している。必要なのは形を整えてラケットの動きをきちんと認識できること。

まだまだできてない場面も多いのだが、ゲーム中に「ああ、これ足りないわ」と修正できることも可能になってきた。

次の練習でもやりたいことが山積みで楽しみだ。

テニスが上手くなりたい?

テニス歴が長い友人が居る。

昔から草トーや市民戦でも活躍してきたので上級者の部類に入ると思うが、その友人が、最近「テニスが上手くなりたい」と言い出した。

これまで仲間内ではずっと常勝だったのが、最近周りも少しずつレベルが上がってきて頻繁に負けるようになった。相対的にレベルが落ちているのを自覚して、変わらないといけないと思ったのだろう。

で、「何が上手くなりたいの?」と聞くと、「全体的に」と言う。「具体的に何を練習するの?」と重ねて聞くと、「フォアハンド」とか「サーブ」とか言うのだが、どうもその先の思考が無いみたい。

今は気合を入れて週5日以上もテニスをやっているが、残念ながらさほど向上してなさそうだ。

これまでは若い頃に練習してきたテニス貯金があるので、あまり困らなかったのだろう。年を経ってその貯金が底を尽き、自分を変える必要性を感じても、その方法がわからないのかもしれない。

負けるということは、少なくとも相手より弱い部分があるワケで、その弱点を理解しないと始まらない。ありのままの自身の現状と、あるべき理想との差を認識し、それをどう埋めたらいいか、具体的な検討が必須だと思う。

僕は幼少の頃から運動音痴で、腕とか足とかの動かし方から考えないことには何もできなかった。中学校のときは思春期だから、他人に笑われたくない一心で、体育の種目ですらノートに課題を書いて陰で練習していた。今はこのブログがそれのひとつの手段だ。でもそれだけやってもせいぜい人並だったし、自分を変えるというのは難しいなと常に感じる。

でもだからこそ、課題を克服するのは楽しい。個々の弱点をひととおり修正した先に、全体のレベルがなんとなく向上して、そこで初めて「上手くなった(かな?)」と思って少しの間自己満足に浸る。

その友人にも、課題は具体化にした方が良いのではと伝えた。テニスの技術を教えることはできないけど、何歳になっても困難を克服することは楽しいということを共有していけたらと思う。